コト・コト

ASD&ADHD&マルトリートメント&不安障害の自分史。事(コト)と意(ココロ)と言(コト)。

厚み

今月に入り、正式に就労移行支援事業所に通いはじめています。

主治医の先生が勧めて下さった事業所さんを選びました。

私の通っている事業所さんでは事前に数回の体験授業を受けさせてもらうことができました。

その体験期間にカウンセリングも行ってくれたのですが、これがとても素晴らしかったです。

臨床心理士精神科医のカウンセリングとは違った包容感を覚えました。

カウンセリング時間も毎回2時間近くかけて下さったように記憶しています。

一度目のカウンセリング終了時点で、

「この事業所さんに決めよう」

という心づもりができるほど充実したものでした。

毎回別の方がカウンセリングを担当して下さったのですが、

どの方も心耳を澄まして私の声に耳を傾けて下さっていたように思います。

感じてきたことをここまで素直に話してもいいんだ、という雰囲気を用意して下さっていました。

恥ずかしいと感じているところや、
情けないと感じているところも、
ほとんど体裁を取り繕わず吐露できたように思います。

一方で、

話を聞いてもらっている最中には感じていなかったような極度の疲労が、

帰宅後にドっと押し寄せてきたのも正直なところです。

これまでは過去の体験を人に話せないことの大変さを経験してきましたが、

今回は過去の体験を人に話すことの大変さを身を持って知りました。

この感情の抑圧と解放の両極を経験したことで感じたことがあります。

それは、

自分の精神の柔軟性を死守してきたつもりが、

その必死さゆえに、

かえってガチガチに硬直していた部位もあったのではないか、ということです。

広い視野で眺めていたつもりが、
葦の髄から天井を覗くように捉えていたこの世界。

そこにはこれまで自分が気づくことができなかった「厚み」がたしかにありました。

弾丸のようなことばが飛び交う下には、

花のような心づくしもたしかに息づいている。

どちらも自分が生きているこの世界の現実。

そんな温かい気づきが、今日も私を支えてくれています。

ノイズキャンセリング

それはいつものように中途覚醒をしたときのことでした。

深夜0時ころだったと思います。

その日は特につよい副作用もなく眠っていたのですが、目覚めたときにある異変を感じました。

自動車や二輪車の走る音がやけにこもっているなと。

近くに幹線道路が走っていることもあり、この時間帯でも走り抜けることがあるのです。

走行音が今夜は妙に静かだ…。

もしかして、薬の副作用で耳が遠くなったのではないか?と疑いました。

いろいろと調べてみると、ストラテラ発達障害の聴覚過敏への効果が期待できることがある、と出てきました
(悪化する、という情報もあり、効果は人それぞれなんだと思います)。

今までの音とはまるで違う。

ざっくりと表現するならば、

ブガガガ・・・という自動車の音が空気を切るようなシューというような音に、

また、

グゴゴゴゴ・・・というトラックの音も、つよい風が吹きつけるビュービューというような音に、

それぞれ変わっていました。

どちらも金属が擦れ合うような高音域のノイズや音量が軽減した印象です。

うっすらとノイズキャンセリングされたような感じでしょうか。

これまで当たり前に感じていた世界が、実はそうではなかったのかも知れない。

これが自分の発達障害を自覚した最初の出来事でした。

鱗から目

交通事故をきっかけとして、自分の過去と向き合うこととなり、

かなり無理をしながらその原因を調べ込んだことは前回記しました。

途中、頭痛や希死念慮とも戦いました。

そして、虐待やその後の人生経験における心の傷から、
自分は複雑性PTSDやトラウマを発症しているのではないか、という仮説を立てるに至りました。

それから一年ほどはだましだまし過ごしていたのです。

しかし次第に心も体も生気を失い、ついに心療内科の助けを求めました。

初診時にこれまでの来歴をひとしきり先生に話したところ、

フェレンツィさんは発達障害、という言葉はご存知ですか?」

と尋ねられました。

私は、

「言葉自体は知っていますが、発達障害に関する本は一冊も読んだことがありません」

と答えました。

自分にはまったく関係のないものだと思っていたからです。

これに対して、

フェレンツィさんは発達障害を持たれている可能性が高いんですよね。どうでしょう、来週の診察まで、無理しない程度でいいので、ご自身で一度お調べになってみてくださいませんか」

と先生。


さらに、

フェレンツィさんのどの症状を切り取るかによって、PTSD双極性障害統合失調症など、いろんな診断名をつけることも可能です。また、その診断名に合わせてお薬が変わってきます。しかし、私は、それを好みません。それよりも根本に横たわっている発達障害そのものにアプローチしていきましょう」

と仰って下さいました。


目から鱗でした。

いや、鱗から目でした。

まさか自分に生まれ持った障害があるとは思いもしませんでした。

肩の荷がフッと軽くなったことも覚えています。

帰路、図書館に立ち寄り、例のごとく関連本を読み漁ることに。

過去の自分の体験とも平仄が合う事例が多く、鱗からこぼれ落ちた目は確信の階段をコロコロと、あっという間に転がり落ちて行きました。

翌週の診察を終え、処方されたのがストラテラ40mgでした。

効果が出はじめるまで2週間ほどかかると思います、との説明を受けました。

そして、その日の深夜、先生の発達障害の診断を信じ得る、ある出来事が起こったのです。

微熱

このブログを書き始めるにあたって、

まずは感謝の言葉からはじめさせていただきたい、

という想いがあります。

それは、私自身がこのサイトに掲載されているブログに命を救ってもらえたからなんです。

私は機能不全家族で育ちました。

マルトリートメントを受けていました。

そして、そういう事実に対して40年近く気づかないふりをしてきました。

数年前、そんな蓋をしてきた気持ちと向き合うきっかけとなった出来事が起こりました。

交通事故を目撃したことでした。

発生の瞬間ではなく、事故直後の現場でしたが、発生時の音は今も耳に残っています。

その事故で無辜のいのちが奪われ、たくさんの人が傷つきました。
 
神や仏に剥き出しの怒りをぶつけたくなりました。

四六時中鳥肌が波打ち、

小さな音にも驚き、

一人でいることが恐ろしく、

夜も眠れず、

頭の中が否定的なことばで休みなく埋め尽くされていく。

この身に起こっている異常事態は一体なんなのだろうか。

自分の症状を手がかりに少しずつ調べていきました。

その過程でたくさんの精神疾患の病名を知りました。

そして、その名をひとつひとつたぐるようにしてたどり着いた先がマルトリートメント(虐待)というキーワードでした。

ショックでした。

でも、ここまで来たからにはもう後には引けない。

関連本をひたすらに跋渉しつづけました。

読みながら頭痛も感じていました。

黒い手が後頭部からニュ〜ッと侵入してきて、

目の裏側をギュッとにぎられるような気分。

眉間からこめかみにかけて、墨色のような重い痛みを日常的に経験することになりました。

頭痛薬も歯が立ちませんでした。

また、過去の体験を思い出しながら、悔しくて悲しくて、何度も涙を流しました。

たとえば、

日常的に罵倒されていたこと。

機嫌を損なえば食事を取り上げられること。

叩かれながら勉強させられたこと。

真っ暗闇の押し入れの中で数時間の正座をさせられたこと。

家から締め出されたこと。

夜道に捨て置かれたこと。

ベルト・ハンガー・孫の手なとで折檻されたこと。

ミミズ腫れはしょっちゅうでした。

ビリヤードのキューで同じ箇所を繰り返し叩かれたときには出血したことも。

自分の太ももから滲む血を見てなんだかとても恐ろしくなり、

また、

感じている当の痛みが倍化されたようにも感じ、

火がついたように泣いたことを今でもよく覚えています。

自分の認知の基礎にはこんな恐怖感や屈辱感があり、

また、

その後の人生に影のようについてまわり、

無意識下で影響を与えていたとは…。

それ以降、

思い出せるのは冷たい記憶、辛い記憶ばかりになりました。

親に恩義を感じていることさえも苦痛で苦痛で仕方なくなりました。

与えてもらったものを全部返すので、

奪われたものを全部返してほしい。

何度もそう願いました。

そんな気持ちはやがて、両親に対する敵愾心になっていきました。

もちろん、ここには私自身の認知の歪みがもたらしている捉え方だって存在しているでしょう。

だからこそ、
これ以上お互いに傷を深めないように、
積極的に両親と連絡をとらないようにしていました。

ところが、2ヶ月ほど前に突然父から連絡が入りました。

ここではその内容は割愛させて頂きますが、

通話を終えてのち、 

「過去のことはもう忘れて先に進め...」

という電話越しの言葉が鬱勃と思い起こされ、

燎原の火の如く、

穏やかだった気持ちを焼き尽くしていきました。

実は以前、親子の間に起こった過去の出来事を話し合ったとがあり、その時には謝罪のようなものを受けたこともありました。

私はそれを受けとめたつもりでいました。

しかし、あとになって裏切られるような発言を何度もされてきていたのです。

もちろん、親には悪意なんてなかったでしょう。 

「悪意は稀である。たいていの人はあまりにもひどく自分のことに没頭しているので、悪意をもつ暇がない」

ニーチェが記しているように。

でも、同時に、悪意がないからこそ、行為の過剰は止められない。

なぜなら、留意されないものはまた、制限もなされないのだから。

そのような事情は分かっているつもりでした。

しかし、これまで信じていた言葉がバタバタと白黒ひっくり返っていくような場面に遭遇し、

屈辱感が腹の底からこみ上げてきました。

情けなさに胸を貫かれました。

またしても、

またしても、

親からの何気ない一言に圧倒されてしまった。

些細なことばで崩壊してしまった。

未だに親の言葉が自分にとって影響力を持ち続けていることへの無力感に押しつぶされました。

ゆっくりでも確実に復調してきている、

そんな小さな手応えを感じはじめていた時期だっただけに、

自分の狼狽ぶりに落胆しました。

よじ登っては滑り落ち、

しがみついては蹴落とされる。

結局、未来もこの反復に過ぎないのか。

そうか。

そうだとしたら、もう何も考えたくない。

何も……。

死にたい気持ちと生きたい気持ちの相克。

それはほんの僅かな葛藤の差でした。

衝動的に自分を亡き者にしようと試みました。

息苦しさを追い越して行くような甘い眠気に恐ろしさを感じ、中断しました。

強烈な希死念慮と、

それに抗うような身体。

いつにもまして健気に律動する心臓。

頭では絶望していても、
生物としての体は絶望とは無縁にただこの生をまっとうしようとしている。

ただ黙々と生きるために生きている。

そんな生と死の斥力の境目で、これまで経験してきたことのない孤独感に痺れていました。

悄然とドアに背をもたせながら、どれくらいの時間が経った頃だったでしょうか。

ふと、先生の「SNSで発信してみませんか」という一言が思い出されました。

次いで「自殺募集」という単語が連想されました。

普段からSNSなどはほとんど利用しておらず、募集なんてするつもりもない。

しかし、たとえば、他の人たちはどのようなことばを使って、

このような空谷の寂しさを表現しているのだろう?

どうやって他人に伝え、それがどう伝わっていくのだろう?

寂しさから生まれた疑問符は答えを求めてどんどん膨れ上がっていきました。

足元に転がるスマホに手を伸ばし、勢い、検索。

最初に目に飛び込んで来たのが、

「自殺募集をしてはいけない理由」

というツイートでした。

自分が知りたい内容とは違っていたのですが、

そのタイトルを眺めていると不思議と訴えかけられているような心持ちになり、

思わずリンクをクリックしてみました

(そして、その着地点こそが、このはてなブログだったのです)。

山門をくぐるときのような神妙な心持ちで、

ブログを読みはじめました。

いつしか最初の動機もすっかり忘れてしまっていました。

その内容に引き込まれていました。

行間からにじむ手触りのやさしい心根にしばらく感じ入ってしまいました。

つづけて親子関係の記事を読ませて頂くことに。

結論から言うと、

“こんな苦しさなんだよ”

と申し添えて、

一字一句自分の両親に伝えたくなるような内容でした。

砂漠が水をあっという間に吸い込んでしまうように、

うんうんうんうん、

唸るような頷きの連続で、

ひと息に読み切ってしまいました。 

しばらくして後、ハタと気づきました。

自分の体調が大きく変化していることに。

汗が引き、

動悸は治まり、  

上気した頭は静まり、

心が仄かに温かい。

先ほどまでの愁然が宥められている...。

まるで特上のカウンセリングを受けた直後のように。



「感動するというのは、わたしたちが自分の内側に沈みこみ、自分自身と和解する感情のことである」

アランはそう言っています。

私は自分が自分と宥和させてもらえる場を、それらの言葉によって与えられたのでしょう。


悲しみ。

怒り。

悔しさ。

寂しさ。

もどかしさ。

大蛇のようにのたうち回る感情の濁流に飛び込み、

聞き届けられなかった自分の想いへ向けて一人潜水し、

それを文字として引き揚げてくる。

どれほどの苦しさが伴ったことでしょう。

想像もできません。

しかし、

荒ぶる感情の中に優しさを伏流させたそのテクストによって、私はその時、たしかに生命力を賦活されたのです。

と同時に、

自分の感情を信じて表現してみる勇気も贈与されました(そのおかげでこのブログをはじめることができました)。

私は今も怯懦の内に生きています。

日常のちょっとしたことで極端に苦しくなります。

ただ、そんな自分のよわさやおびえが、いま、少しずつ、何か別のものに転化しようとしはじめているのではないか。

静かな祈りのような、

そんな微熱を感じています。

大きな感謝とともに。